高樹沙耶に思うこと

2017年05月14日

 
大麻取締法違反で逮捕され懲役1年、執行猶予3年の有罪判決を受けた高樹沙耶被告がこの間テレビに出ていた。

そのテレビの中での発言

「法律を犯したことについては本当に十分謝罪しているし、謝罪よりも社会的制裁を既に十分受けていると思うんですよ。それ以上、なんで毎日毎日、こうやってみんなに謝らなければといけないのかということが、今でも疑問なんですよ」

あぁ、そういう事なのか。

犯罪を犯した人は、逮捕されて警察に拘留され、起訴をされて裁判を受け、判決を受けて刑が確定する。当事者はこうして裁かれているから、それ以上の社会的な制裁を受ける事に違和感を感じるのだろう。現実として判決が出ているわけだから。

当事者にしてみれば、判決出てるんだからもうほっといてください。ということなんだろう。


でも、身近な周囲の人からしてみれば、友人や知人が犯罪を犯したという事実があり、それを更生していってほしい、たとえば諭していかないとという使命感にさいなまれるわけで、これは根本的に当事者との間には大きな考え方の隔たりがある。

当事者は、犯罪の事実を知っている人から「最近どうしてる?」と聞かれるだけできっともう鬱陶しいと感じるかもしれない。
でもそれを言った人は心底心配しているからこその言葉だ。

事件を知っている人から距離を置きたくなるのは当然だ。でも事件を知らない人とだけ付き合うことは、事件を知っている人からすれば「逃げ」と感じる事もまた事実。

現実を受け入れて、それでもまっとうに生きていく事を努力するのが本来の姿じゃないのかと感じるのが、第三者からの目。知らない人にもいつ知られるかわからないと考えながら生きることを思えば、知ってもらった上で付き合うほうが、結果的には楽になっていくはず。

こういうふうに考える人は、そもそも犯罪などはしないんだろう。

高樹沙耶被告は、社会で知らない人は居ないほどに報道をされ、誰かれかまわず犯罪者の目で見られる。それに耐え難い苦痛を感じているから件の発言になったのだろうな。と考える。

自分の事を知らない国に行ってしまいたいとも考えているかもしれない。

でも、結局のところは犯罪をしたのは事実で、自分が撒いた種だというところを考えないということが、大きく欠けてしまっているのではないかと考える。
ここをきちんと考えられる人は更生ができるだろうし、その自分に向き合えない人は更生が出来ずに人生を過ごしてしまうのかなと想像する。

きちんと行きていけるように頑張らないと。